今回の登場はゴルファーではなく、あの米国野球界伝説のナンバーワン・ヒーロー、ベーブ・ルースである。天性のホームランバッターであった彼は、ゴルフでも豪快な飛ばし屋であった。そのルースが野球とゴルフの違いをみごとに言い当てている言葉がこれだ

 次のエピソードからも、ルースがなぜこの言葉を遺したのかがうかがい知れる。
 安打製造機といわれたタイ・カップがルースにゴルフでの挑戦状を叩きつけた。腕前はルースが断然上。ほとんど70台でまわるシングルプレーヤーのルースに対して、カップは80台であった。プレースタイルも野球と同じで、豪快にかっ飛ばすルースと小技が得意なカップと好対照。試合形式は3試合18ホールのマッチプレーで、2試合をとれば勝ち。

画像: 昭和9年(1934年)11月19日、来日中のベーブ・ルースとオドールが東京GC朝霞コースでプレーした。左からグルー駐日米大使、ルース、オドール、赤星四郎(東京ゴルフ倶楽部75年史より)

昭和9年(1934年)11月19日、来日中のベーブ・ルースとオドールが東京GC朝霞コースでプレーした。左からグルー駐日米大使、ルース、オドール、赤星四郎(東京ゴルフ倶楽部75年史より)

「グリーンで先に長いパットを決めればルースは動揺する。ドライバーでは張り合わず、2打目を先に乗せる」。この作戦で1試合目、カップの勝ち。しかし、2試合目は挑発に乗らずルースがとる。いよいよ3試合目。カップは2試合目まで難しいショートパットはすべてコンシード(OK)にしていた。ところが3試合目ではどんなに短いパットでもOKを出さなかったカップに、ルースは怒り狂って自滅してしまったのである。カップは友人のマッチの鬼、ウォルター・ヘーゲンからこのアドバイスを受けていた。結果、腕前では劣るカップの圧勝に終わったのである。

「ルースほど飾り気のない素直な男はいなかった」。だからこそスーパヒーローになれたのであるが、この試合からでも冒頭のルースの言葉が漏れ聞こえてきそうではないか。

            (エピソードはタイ・カップの自伝『野球王タイ・カップ』から引用)。

ベーブ・ルース(1895~1948)
 本名ジョージ・ハーマン・ルース。ベーブはベービーからきた愛称。貧困家庭に生まれ、子供の頃は非行に走り矯正学校に入れられ、そこで生涯の恩人となる神父マシアスに出会い野球を教えられる。マイナーリーグのオリオールズからレッドソックスへ移籍。そこで最初、投手として芽が出て、次第に才能は長距離打者として開花していく。ヤンキースに移籍してから驚異的にホームラン生産し、背番号の3番は永久欠番。1シーズン初めて50本を打ち、27年には60ホーマーで、61年にロジャー・マリスに抜かれるまで34年間記録保持者だった。最初に殿堂入りした5人の一人。ホームランを野球の花にし、国民的ヒーローであった。ゴルフも大好きでシングル。飛ばし屋であった。53歳で没。

                       古川正則(ゴルフダイジェスト社特別編集委員)

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